
実に12年ぶりの新ゴースト「鈴嶺の山登り」を公開しました。
(ダウンロードはこちらから)需要など考えずに、自分の作りたいように作ったゴーストです。
トークは、私が行った山登りの経験を元にして書いているものであります。
萩とは似ているようでもあり対象的なようでもある…というようにしたつもりです。
デフォルトの服装が山登りとはかけ離れている…というのはわざとですが、どういう意図だったかは自分でも忘れました。
なお、キャラ名は、鈴鹿山脈の異名らしい「鈴鹿嶺(すずかね)」が由来です。
- 2022/02/18(金) 23:41:23|
- 伺か関係創作
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
前回からの続きです。(「大井川鐵道」と言いながら、今回はその出番は少ないですが…)
1月15日(土)。

↑朝食。

↑8:30頃、宿を出て、「夢の吊橋」「飛龍橋」の方向に向かって、微妙な積雪が有る寸又峡温泉街を歩いていきました。
(ちなみに「露天風呂」とは、後述の「町営露天風呂 美女づくりの湯」のことだと思います)

↑温泉街の端にある、千頭森林鉄道・大間駅の跡。

↑遊歩道は、凍結した舗装路。トンネルの中でも染み出した水が凍っています。

↑下の方に見えてきた「夢の吊橋」。そこまで降りていく道は凍結した石段で、かなり警戒しました。

↑9:15頃、渡り始めたわけですが、序盤は橋の上も凍結しています…
序盤以外は凍結していませんが、むしろ揺れが大きくなる中盤が一番怖いです。
かなり気分は動揺しているため、渡っている途中で写真を撮るような余裕はありませんでした。
(※自分が渡り終えた後に渡り始めた人は、普通に途中で写真撮ってましたが…)

↑渡り終わった所にある看板ですが、なんか気になる…と思ったら、以前、
このサイトのページで読んだやつでした。
読んでなければ、そんな秘密にはまず気付かなかったでしょう。

↑夢の吊り橋で渡った川は、飛龍橋で渡り返します。
橋のたもとには登山道の案内があります。(こんな積雪期に準備もなく登れるはずはありませんが…)

↑10:30頃、寸又峡温泉に戻ってきたので、「町営露天風呂 美女づくりの湯」で入浴します。
昨日から持っている「夢のつり橋周遊きっぷ」の効力により、入浴料100円です。

↑バス停前の売店。なんと、ゆるキャン△からは逃れられないというのか…(←本当に知らなかったのよ)

↑11:20発千頭駅行バスに乗車しました。

↑12:00千頭駅着。売店で色々売っていたので……、これだけインパクトがあれば、まあ買いますよ。

↑12:45発、金谷行き。
近鉄16000系特急用列車だったものを利用していますが、なんと普通列車です。

↑13:55、終点の1つ手前、大井川鐵道の本社でもある、新金谷駅で下車しました。

↑駅前にあるロコプラザ内にある、ロコミュージアム。
この後は、金谷駅まで歩いていくことを考えていましたが、その前に大井川を見に行こうと、反対方向へ進みました。

↑14:40頃、静岡県道381号(旧国道1号らしい)の大井川橋から見た大井川。
せっかく来たのだからこの橋を渡ってしまおうとしたけれど、進んでも進んでもなかなか向こう岸には着きません。
それもそのはず、この橋は全長1026mもありました。それだけで、大井川が東海道の難所だったというのに納得します。
そして、後戻りはせず、そのままの勢いで突き進みます。

↑橋の上からも目立っていた工場。新東海製紙という会社らしいです。

↑15:40頃、何でこんなことしたんだろうと思いながらも、新金谷駅から島田駅まで4kmほど歩き通しました。
というわけで、新幹線の遅れから始まったこの旅も、なんだかんだで無事に終えることができました。
- 2022/01/22(土) 18:00:46|
- 旅
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
1月14日(金)。
仕事は休みにしたこの日、早朝から出かけたものの…

↑7:30頃の名古屋駅。雪により新幹線は大幅に遅れており、この時点で当初の計画は崩壊しました。

↑9:00頃、掛川駅。
本来の計画では「ひかり」に乗って浜松で乗り換えをして、この駅では降りる予定もありませんでしたが、計画の組み換えにより「こだま」に乗ってきてここで外に出ました。

↑掛川城。全く狙ったわけでもないが、ゆるキャン△。

↑そして10:00頃に戻ってきた掛川駅。向こうに見える天竜浜名湖鉄道の車両は、全く狙ったわけでもないが、ゆるキャン△。
この路線にもいつかは乗ってみたいものであります。

↑そして10:30頃、金谷駅。ようやくここから本題に入ります。

↑通常なら「大井川周遊きっぷ」…というところですが、同じ額でその特別版「夢のつり橋周遊きっぷ」が限定販売されていました。

↑そして大井川鐵道大井川本線、千頭行きの列車。東急→十和田観光電鉄と受け継がれてきた車両ならしいです。
当初の計画では8:59発に乗る予定でしたが、これはその1本後の11:03発です。
本数は少なく、平日なので観光用の臨時列車も無く、1本遅らせるだけでこの時間差です。(だから掛川で時間を潰していたわけであります)

↑車窓からの大井川。非常に広い河原が特徴です。

↑そして大井川本線の終点・千頭(せんず)駅。12:17着。
全く狙ったわけでもないが、ゆるキャン△。(←ほとんどアニメ2期と、原作の最初の方の知識しかないので、本当に知らないのよ…)

↑そして乗り換える井川線、井川行き。ディーゼル機関車に押される、小さめのサイズの車両。
12:29に千頭駅を出発し、しばらく進むと…

↑アプトいちしろ駅にて、アプト式の機関車を連結します。

↑アプトいちしろ駅~長島ダム駅の1区間だけ、アプト式鉄道となります。

↑13:35。奥大井湖上駅で下車。(当初の予定では、終点の井川まで一度行ってからここまで戻ってくる予定だった…)

↑線路と一緒にダム湖にかかる鉄橋を渡る遊歩道。向こう岸に見えるのは、ダムができる前に使われていた旧線の橋だとか。

↑トンネルの前で線路と別れて、階段になります。

↑そして遊歩道を更に登っていくと見える、奥大井湖上駅周辺の様子。とてつもない立地である…
この時点で14:00頃。通常ならばこの近くから14:16発のバスに乗って千頭駅に戻ることもできるはずですが、この日は積雪のため運休でした。

↑そんな状況で歩いてきた接岨峡温泉(せっそきょうおんせん)。14:30頃。

↑そしてこれが、集落から高台に登ったところにある接岨峡温泉駅。
この駅の1日の時刻表は、なんとこれがすべてであります。
平日であるこの日は、もう乗れる列車は15:26千頭行きの1本しか来ません。
最終列車なので、降りる駅を間違えると詰んでしまうわけで、細心の注意を払いながら…

↑16:06に奥泉駅で下車し、バス停へ向かいました。
公衆トイレが竪穴式住居風なのは、この辺りに遺跡があることにちなんだもののようです。
16:40にバス(まるで私的な送迎バスのような小型バスだったのでちょっと戸惑った)に乗り、

↑17:00過ぎ、この日の宿泊地、寸又峡温泉(すまたきょうおんせん)に到着しました。

↑夕食はイノシシ鍋。

↑そして温泉。
というわけで、
翌日に続く…
- 2022/01/21(金) 22:54:21|
- 旅
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0

だすぶら様に、「はぎと黄色の」の追加シェル「とらはぎ」を作って頂きました。
非常にこの子らしい、むしろ自分で描くよりもこの子らしいというような感じがします。
うかろだ。2ndの中の「追加シェル」でダウンロードできます。
というわけで、本日このシェルに対応するための更新をかけました。同時に、
・他ゴーストから交代したときも特殊なイベントがなければ時間帯ごとの起動トークをするようにした
・マスターシェルの表示の微妙な不具合を修正
・ユーザー名にさくらスクリプトのタグが含まれている場合に、タグと認識しないようにした
・yayaの更新
といった細かい所の変更もしました。
なお、現在私は、12年ぶりの新ゴーストの制作を行っていて、来月あたりに公開する予定であります。
(上記の細かい変更も、「新ゴースト制作中に気になった」という経緯であります)
- 2022/01/18(火) 23:41:43|
- 伺か関係創作
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
12年前にもこのブログで書いたことがある場所への再訪である…。(そのときは大妻籠には立ち寄ってませんが)
2021年10月10日(日)

↑長野県南木曽町、妻籠宿の駐車場に車を停め、宿場町へ向かいます。


↑ここが妻籠宿。先週行った
奈良井宿と並んで、町並みが保存されている宿場町です。

↑猫もおりまする。

↑脇本陣。(本陣とは大名など身分が高い人が泊まる所のことであり、脇本陣とはそれに次ぐものならしいです)


↑さらに町並みは続いていく・・・

↑そして、宿場町を出て、「馬籠宿」の道標に従って歩いていくと…

↑登山道のようになっていき・・・

↑再び人家が見えてくると・・・

↑ここは妻籠宿と馬籠宿の間にある非公式の宿場(間の宿)だった「大妻籠」であります。

↑大妻籠まで来ると観光客の姿も少なくなっていますが、今も宿が立ち並んでいます。

↑大妻籠にある「長野県宝・藤原家住宅」
・・・このまま歩いて馬籠峠を越えたりすると「自動車までどうやって戻るんだ?」ということになるため、一旦妻籠宿に戻ります。

↑妻籠宿の「俵屋里久」で食べたザルセット(ざるそば+五平餅)。
そして、自動車でさっきの大妻籠を通過して、さらに馬籠峠を越え、

↑ここが馬籠宿の最上部。目の前には恵那山が・・・・見えない。


↑急坂にある宿場町であり、島崎藤村の生誕地でもある馬籠宿であります。
かつては長野県だったけど、越県合併によって2005年に岐阜県中津川市になったとか…
ってなわけで、ほんの僅かだけ中山道の旅を体験して、帰路につきましたとさ。
- 2021/10/11(月) 22:31:04|
- 旅
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
次のページ